伊藤英人の狩猟本の世界

270.『暴力のエスノグラフィー』ティモシー・パチラット著、小坂恵理訳、明石書店、2022年

270.『暴力のエスノグラフィー』ティモシー・パチラット著、小坂恵理訳、明石書店、2022年

人類学者が屠場に労働者として潜入し、淡々と作業を記録した民俗誌。安易な政治的発言や批判がなく、研究者としての立場を保っている。

著者が勤務した米国ネブラスカ州オマハの屠場はテンプル・グランディン(269.『動物感覚』著者)の監査を受けており、従業員がグランディンの施設に研修に行くことがある。

現場の作業員は貧しい移民で、英語もままならない。ミスが重なると解雇されるので、機械で制御された流れ作業を止めてはならないというストレスが常にある。現場の作業を監督するQC(品質管理担当)は衛生管理を徹底しつつも、流れ作業を極力止めさせてはならず、教科書どおり(グランディンのつくった基準どおり)にいかない現実がある。

屠場内は「生」「殺」「死」の3つに区分され、衛生面だけでなく精神的・経済的にも明確な分断がある。その中で各作業員が、(たとえば牛を屠殺室に誘導する、フックにレバーをひっかける、など)専門化された単純作業をそれぞれ延々と続ける。121種類ある作業の中には、危険な仕事も、体力的・精神的・ニオイ的にきつい仕事もある。そして、それらのようすは、レストランで肉を食べる人々にとっては無関係である。

タイトルに「暴力」とあるが、個別の事案というよりは全体的な、システムに組み込まれているものの表現である。暴力と搾取が、肉食の社会構造に内包されていることと、食べる時点で何も感じないように巧妙に隠されていることに恐怖を感じる。

私は屠場の作業員の解体技術に憧れており、学びたい、数をこなしたいと思っているが、実際の作業は細分化が進んでおり、狩猟動物を肉にするすべての技術を屠場で学ぶのは難しいと感じた。そして、かなりハードな仕事である。やはり、畜肉と狩猟肉は処理と流通が全然違う。一般的な狩猟肉の処理は、ヨーロッパの家庭屠畜(258.『いのちを味わう』参照)や遊牧民の屠畜(61.『世界の食文化 3 モンゴル』参照)に近い。日本では家庭屠畜が違法なので、屠殺と解体は狩猟者だけの技術なのかもしれない(解体は一頭買いの精肉屋さんがすごい)。

かといって、狩猟者は解体の場数を踏むのがたいへんで、練習もできないので、正直あまり上手ではない。初心者は、屠殺や解体がうまくいかなかったとしても(いきなりうまくいくわけがない)、動物に申し訳ないと悲観しすぎず、次回での挽回を心に決め、どんどん捕獲してほしい。