一般社団法人エゾシカ協会

伊東昭二さん「エゾシカ猟随想」


「地元にゲームがいなくなると狩猟の楽しみがなくなる」。
「我々は国の鹿対策や有害鳥獣駆除に協力しているのだ。山を歩きもしない鹿猟なんて論外だ。町内に鹿がいなければ居る所へ行けばいい」。

 年よりのハンターに、毎年数百頭の鹿を獲るセミプロ猟師は反論した。
たしかに雌鹿が解禁になった三年前は、十一月の湿雪と好天に恵まれ、鹿猟には絶好の条件が整った。山では大雪で多くの鹿が餓死していた。川筋まで下りられた鹿はさらに人家近くまで下って、落葉松の皮をかじって飢えを凌いでいた。

 ところが、「鹿対策」の捕獲報奨金もあって、こうした「里鹿」も根こそぎ獲り尽くされた。広い畑をスノーモビルや車で鹿と競走したのは、今は遠い過去の夢である。


「毎日山へ行って運動しているのは車だけさ」。

 そう自嘲しながら昨猟期の私は、パワーの半減した心臓で、二時間ハンターに徹してきた。今冬は私の記憶にある内では一番の大雪で、十数年ぶりにスキーを履いてみた。雪の感触や木の芽の表情が懐かしかった。大鹿の気配に心地よい緊張感が走る。「いた!」。次の瞬間、委託しようとしたストックがコトリと倒れて鹿に走られてしまった。

 それから数日して知り合いと出猟した。珍しく林道脇に足跡がある。彼がスキーを履いたので、私もスキーで歩き出した。三十分ほど進むとのんびり食事中の大鹿がいた。先日の轍を踏まぬように、150mほど先の大鹿に7ミリ08アックレイの引き金を引いた。鹿は五尖の角を横たえ、先ほど立っていたままの足形で行儀良くお座りをしていた。獲物があると頬もほころび、心臓さんもご機嫌だ。猟師冥利に尽きる心地である。

 金色の落葉松山に分け入りて鹿狩りせずに写真を撮りぬ

 今年の山行きはこんな駄句を並べながら楽しんできた。貧猟でも楽しく思い出の多い猟期であった。

伊東昭二会員(上士幌町、ito-s@jasmine.ocn.ne.jp

エゾシカ協会ニュースレター第7号(2001年5月15日発行)より