一般社団法人エゾシカ協会

籠田勝基「シカの新しい感染病CWDについて」


 養鹿場の飼料および猟場におけるおびきよせには、肉骨粉の混入した飼料を絶対に与えないことが重要である。

はじめに
 狂牛病に類似した病気が米国のシカに発生していることが2001年10月3日付け新聞で報道された。狩猟期を迎え、ハンターおよびシカ関係者にとっては極めて関心の高い問題である。報道によると、米国農務省は2001年9月27日緊急事態宣言を発して、260万ドル(3億1千万円)の対策費を支出し、実態調査と感染シカの隔離を行うとしている。またカナダ政府も今年(2001年)4月、発病の場合に報告することを法律で義務づけた。
 シカの慢性消耗病または消耗性疾患は、慢性の削痩と衰弱を主な症状とすることから,Chronic Wasting Disease (CWD)と名づけられた。この病気を正しく理解し、日本における発生を未然に防ぐため、今までの報告・論文からCWDの概要を紹介する。


1、 発生状況
 最初の発生は1960年代後半にさかのぼる。米国コロラド州の養鹿場のミュールジカに衰弱死する疾病が発生し、CWDと命名された。本病は当時、人工飼育によるストレスと栄養素の欠乏によるものと思われていたが、1977年に狂牛病と同様の病変を示す「海綿状脳症」であることが判明した。1980年代には養鹿場および野生のエルク(アカシカ)でも発生が認められ、野生のミュールジカとオジロジカにも拡大した。
 カナダのサスカチュワン州の狩猟牧場では1977年、米国サウスダコタより輸入されたエルクでの発生が確認され、カナダも発生地域となった。CWDの現在の発生地域は、米国コロラド、モンタナ、ネブラスカ、オクラホマ、サウスダコタおよびカナダ、サスカチュワンのエルクの養鹿場である。
 野生ジカ(ミュールジカ、オジロジカ、エルク)での発生は、コロラド州東北部とワイオミング州南東部に限局していたが、最近カナダでも野生ジカでの発生が報告された。
 コロラドおよびワイオミングでの10年間の狩猟されたシカについてのCWDの陽性率は、エルク1.1%(1992~1996年、337例) エルクを除くシカ類で0~5.9%、平均2.5%(1983~1996年、6878例) であった。また、同地域の別の統計によるとミュールジカの発生率は4.9%(4.1~5.7)で オジロジカの2.1%およびエルクの0.5%よりも有意に高い値を示した。しかし、流行地以外の300例の調査では、すべて陰性であった。


2、 病原
 病原体はプリオンと呼ばれるタンパク質で、細菌やウイルスとは異なる。この病原タンパク質は感染性を有しており、感染すると神経細胞の空胞変性が起こる。顕微鏡で観察すると、神経組織に多数の空胞が形成されてスポンジのように見えるので「海綿状脳症」と呼ばれる。牛(BSEまたは狂牛病)、水牛、羊(スクレーピー)、ミンク、猫、および動物園飼育の牛科と猫科の計11種の動物での発生が知られ、伝染性海綿状脳症と総称されている。
 実験的にはマウス、フェレット、ハムスターなどへも感染する。また、人の変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)が狂牛病から感染した疑いが極めて強いことから、狂牛病が世界的な問題とされている。英国における狂牛病の発生は、羊の海綿状脳症の肉骨粉を牛の飼料に交ぜたために発生したものと考えられている。


3、感染様式
 米国におけるCWDが何から感染したかは不明である。養鹿場で海綿状脳症の動物の肉骨粉を含む牛用飼料の給与も可能性として考えられるが、証明はされていない。野生シカでの流行については、その原因は何ら解明されていない。しかし、羊のスクレーピーでは生後間もない子羊が母羊から感染することが知られており、CWDの母子感染も否定できない。また、シカからシカへの水平感染の可能性も否定できない。
 CWDと狂牛病やスクレーピーなど他の動物の海綿状脳症の病原プリオンとの関係について見ると、自然感染したミュールジカの脳乳剤を13頭の牛に脳内接種した実験では、接種後24~27ヶ月で3頭が起立不能となり発症した。病理検査では海綿状病変は明らかではなかったが、病原プリオンは検出された。他の10頭は3年間健康であった。
 この結果は、CWDが牛に感染する可能性を示している。またマウスに対する伝達試験での病原性や潜伏期間の相違などから、CWDの病原プリオンは狂牛病やスクレーピーの病原プリオンとは同一のものとは考えられないが、極めて近い関係にあるものと思われる。
 海綿状脳症の感染の主な経路は経口感染と考えられている。ミュールジカの子ジカを用いた経口感染試験では、感染シカの脳組織の経口投与後、数週間で扁桃、腸管リンパ節、パイエル板などへのプリオン蛋白の出現が認められ、CWDの経口感染が証明された。しかし自然の状態でプリオン蛋白がどのような形で経口摂取されるかは明らかでない。
 CWDプリオンの遺伝子の解析では、オジロシカ、ミュールジカおよびエルクのプリオン遺伝子は同一であることが報告されている。また発病シカの遺伝子は、コドン138(ミュールシカ)、コドン129(エルク)での変異が報告され、感受性に差のある可能性が示唆されている。


4、臨床症状
 人工飼育下のシカについて観察された臨床症状は以下の通りである。
 発症年齢は3~5歳で、最も若齢で診断されたものは17ヶ月齢、最高齢は15歳以上であった。
 病名が示すように、最も多く認められる症状は、一般状態の悪化と進行性の削痩である。特徴的な行動の変化として、昏迷、歩行異常、まれに興奮状態が認められる。多飲多渇、頻尿、多尿、流涎、嚥下困難などもしばしば発現する。少数例のエルクでは、運動失調、非協調性運動による転倒および頭部の震せんが認められている。掻痒症は全く認められない。症状発現は通常、長期間におよぶが、オジロジカでは急性に発症し、数日で死亡した例も数例あった。急性死亡例では、しばしば誤飲性(吸引性)肺炎が死亡の原因となっている。


5、診断
(1) 病理学的診断: 肉眼的病変は認められない。特徴的な変化は中枢神経系組織に限局した組織学的病変である。すなわち神経細胞の細胞質および基質の空胞変性とグリア細胞の増生である。この海綿状病変の出現部位は、延髄とくに迷走神経副交感神経核、視床、視床下部、臭脳皮質において著明である。海綿状病変の周辺には、プリオン蛋白の凝集したアミロイド斑が検出される。アミロイド斑の出現は、オジロジカおよびオジロジカとミュールジのF1では顕著である。CWDにおけるアミロイド斑の出現部位は小脳での出現は少なく、脳と脾臓で明らかに証明され、人のCJDの出現部位とは異なっている。病原プリオン蛋白に対する抗プリオン抗体を用いた免疫染色は診断に有用である。

(2) 病原・免疫生化学的診断: 罹患動物の脳組織に存在するプリオン蛋白を検出する方法としてELISA法およびウエスタンブロット法が用いられる。とくにプリオン蛋白を同定するウエスタンブロット法は、本病の確定診断のために用いられる。マウスを用いた伝達試験も有用であるが、診断確定までに1年以上を要する。


6、予防対策
 CWDを含む海綿状脳症に治療法は一切存在しない。従って徹底した予防で未然に防ぐ以外に本病の対策はない。
 CWDは我が国では発生のない疾病であり、今後も発生の可能性は少ないものと思われる。しかし、我が国の狂牛病の発生が北海道産の牛であり、その感染経路が特定されていない現状では、狂牛病と同じ感染源によるCWDの発生の可能性も完全には否定できない。
 また動物園などに導入されるシカ類での発生の可能性も考えられる。
 養鹿場の飼料および猟場におけるおびきよせには、肉骨粉の混入した飼料を絶対に与えないことが重要である。
 さらに一度養鹿場に収容されてCWDに罹患したシカが、管理者の不注意によってひとたび脱柵してしまうと、野生の個体群にも蔓延する可能性があり、管理には細心の注意を払うべきである。

(c) 2001 Katsumoto Kagota
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