赤坂猛「江戸初期のシカ皮交易」
  • あかさか・たけし
  • 一般社団法人エゾシカ協会代表理事。

第5回 オランダ東インド会社によるシカ皮交易―1635年から1641年の7年間について―

「平戸市史 海外資料編Ⅰ」(平戸市史編さん委員会 2004)の仕訳帳(「訳文編」)より、平戸オランダ商館は、1635年の8,9月に鹿皮161,197枚を輸入し、同年11月には堺及び京都の商人4名に先の鹿皮をすべて売りさばいていました(第4回コラム参照)。

今回は、「平戸市史 海外資料編Ⅰ~Ⅲ」等より、1635年から1641年に「平戸オランダ商館」が進めてきた鹿皮交易を視てゆきたいと思います。

オランダ東インド会社の商館位置図(17世紀)オランダ東インド会社の商館位置図(17世紀)

1.鹿皮の「送り状」

平戸オランダ商館に輸送された「鹿皮」の産地は、タイオワン(台湾)、シャム(タイ)及びカンボジアでした。タイオワン等の3地域には、ジャワ島に本部を置く「オランダ東インド会社(VOC)」の商館(支社)が開設されており、それぞれの商館を介して「鹿皮」等の交易品が平戸オランダ商館へと輸送されていました。

VOCの進める「アジア域内」貿易の地域拠点となる「オランダ商館」について、行武和博さん(2003)は以下のように記しています。

「当時の海上貿易は、一般に季節風を利用した帆船による物資輸送であったから、会社はアジア各地の交易地にオランダ職員を居留させて、仕向け品の販売や現地品の集荷、出帆の季節風期における集荷品の発送等を担当させた。このように、貿易を目的として主要な交易地に設置された施設が商館であり、そこには倉庫や宿舎などの公益施設を備え、また交易地によっては現地主権者との協定に基づき、要塞や守備兵が配置されていた。」

各地のオランダ商館は、交易品の輸送に際して「送り状」を持参します。この「送り状」とは積み荷品の明細書であり、品名・数量・価格・品質等が詳細に記載されたものです。平戸オランダ商館では、輸送船から荷揚げされた交易品(鹿皮)と「送り状」を精査し、会計帳簿の仕訳帳に記帳してゆきます(行武 2000)。

そこで、まずは仕訳帳に記載されたタイオワン等3地域の「送り状」を視てみたいと思います。

タイオワン商館の「送り状」

タイオワン商館の「送り状」については、1635年8月30日の「仕訳帳」を視てみたいと思います(図‐1)。1行目の〔借方〕とは平戸オランダ商館であり、「下記諸口」には鹿皮等の交易品の品目や数量、価格等が記載されます。一方、〔貸方〕にはオランダ東インド会社の「バタヴィア本店」が、そして最後に交易品の総価格が記載されています。

続く2,3行目には、「この金額は、[東]インド[評議会]参事にしてタイオワン長官ハンス・プットマンス閣下の指示に基づき、スヒップ船ニウ・アムステルダム号に船積され[当地に輸送され]たる貨物の総額にして、[詳しくは]送り状に明らかなり。即ち、」と記されています。なお、[ ]内は、編纂者が文意を明確にするために補筆したものです(平戸市史編さん委員会 2004)。

『平戸オランダ商館の仕訳帳【訳文編】』図‐1 「平戸市史 海外資料編Ⅰ」の『平戸オランダ商館の仕訳帳【訳文編】』の1635年8月30日分(p345~347)の一部を抜粋したものである.輸入品・タイオワン産鹿皮の数量、内訳、単価、金額が記されている。

それでは、「下記諸口」の 鹿皮 を視てみましょう。

初めに、「借方 タイオワン産鹿皮 26,817枚、以下内訳:」とあり、鹿皮の産地と総数量が明記されています。次の行から、鹿皮の総数量26,817枚 の内訳が「品目」毎に記されていきます。まず、16,230枚のカベッサ【上級品】、8,000枚のバリゴ【中級品】、1,750枚のペー【下級品】、最後に837枚の大鹿の皮と、4つの品目が単価及び価格とともに記載されています。なお、【  】内の「上級品」等は、編纂者の補筆です。

鹿皮の4つの品目については、(それなりに)イメージできるのではないでしょうか。

シャム商館及びカンボジア商館の「送り状」

シャム商館の「送り状」は1636年9月14日の「仕訳帳」(図‐2)を、またカンボジア商館の「送り状」は1637年8月21日の「仕訳帳」(図‐3)を視てみたいと思います。いずれの仕訳帳も、1行目の〔借方〕・〔貸方〕、続く前文は、先のタイオワンと同様の様式であることがわかります。

『平戸オランダ商館の仕訳帳【訳文編】』図‐2 「平戸市史 海外資料編Ⅰ」の『平戸オランダ商館の仕訳帳【訳文編】』の1636年9月14日分(p431~432)の一部を抜粋したものである.輸入品・シャム産鹿皮の数量、内訳、単価、金額が記されている。

『平戸オランダ商館の仕訳帳【訳文編】』図‐3 「平戸市史 海外資料編Ⅰ」の『平戸オランダ商館の仕訳帳【訳文編】』の1637年8月21日分(p532~533)の一部を抜粋したものである.輸入品・カンボジア産鹿皮の数量、内訳、単価、金額が記されている。

続いて、シャム商館(図‐2)では「借方 シャム産鹿皮 53,480枚、以下内訳:」とあり、カンボジア商館(図‐3)では「借方 カンボジア産鹿皮 53,893枚、以下内訳:」とあり、先のタイオワンと同様式で記されています。

次の「以下内訳」を視ますと、シャム産鹿皮の品目では、新たに「第三種」、「アタマ…」、「ヤマンマ…」とあり(図‐2)、カンボジア産鹿皮には、上記の3品目に加えて「シャグマ」とあります(図‐3)。

「アタマ」とは、シカの部位、即ちシカの頭を用いた品目(川島 1994)とされていますが、シカの「種名」が定かではありません。また、川島茂裕さん(1994)は、「ヤマンマ(山馬)」とは、大型の鹿でありションブルクジカ・ライエルジカであり、カンボジア産鹿皮の「シャグマ」はシカの一種のシャグマ、とされています。

シャム及びカンボジアの鹿皮の品目については種の特定など、今後の課題とした次第です。

図1~3の仕訳帳では、いずれも1行目に『借方 ○○産鹿皮 ××枚、以下内訳:』とあります。この1行で、鹿皮の種類(産地)と総枚数を知ることができます。但し、内訳については、カベッサ【上級品】、バリゴ【中級品】及びペー【下級品】のような「品質をイメージできる」品目もあれば、「第三種」、「ヤマンマ」、「アタマ」など内容不明の品目も多数あります。

従って、次節の「鹿皮の輸入数など」では、仕訳帳に記載されている1行目『借方 ○○産鹿皮 ××枚、以下内訳:』に記されたデータを用いて、1635年から1641年の鹿皮交易を視てゆくことにします。

2.鹿皮の輸入数など

1635年から1641年の7年間、タイオワン等3地域のそれぞれの商館が鹿皮を集荷し、「平戸オランダ商館」へと輸送し、引き渡した年月日やその数量をとりまとめたものが、表‐1です。

表‐1 1635年から1641年における平戸オランダ商館の鹿皮輸入量(数量;枚)。鹿皮の産地は、タイオワン(台湾)、シャム(タイ)及びカンボジアである。

西暦年 月日 タイオワン シャム カンボジア 合計
1635 8月30日 26,817     161,197
9月1日 2,760    
9月1日 40,310    
9月19日   45,300  
9月19日   45,000  
9月27日 1,010    
小計 70,897 90,300 0
1636 8月28日 38,810     164,120
8月28日   200  
8月28日 19,590    
8月30日 2,040    
9月14日   50,000  
9月14日   53,480  
小計 60,440 103,680 0
1637 8月6日 41,860     193,619
8月7日   58,026  
8月21日     53,893
8月26日 32,130    
9月7日 7,710    
小計 81,700 58,026 53,893
1638 7月9日 13,400     276,217
7月26日 16,000    
8月18日     62,690
8月18日   56,612  
8月24日 830    
8月29日   3,405  
9月4日 12,000 700  
9月16日 57,660    
10月9日 52,920    
小計 152,810 60,717 62,690
1639 7月30日 8,900     363,273
7月31日   87,903  
8月2日 126,560    
8月8日 250    
8月31日 7,930    
9月7日     60,640
9月7日     64,443
9月21日 375 6,272  
小計 144,015 94,175 125,083
1640 8月10日     75,530 165,800
8月20日   75,090  
9月10日 11,060    
10月5日 4,120    
小計 15,180 75,090 75,530
1641 7月21日 9,000     96,671
7月21日 15,241    
8月1日   50,370  
8月29日 22,060    
小計 46,301 50,370 0
  合計 571,343 532,358 317,196 1,420,897

タイオワン等3地域から「平戸オランダ商館」へと鹿皮を輸送した回数は44回でした(表‐1)。タイオワン産の鹿皮が26回、シャム産が13回、カンボジア産が5回でした。鹿皮を引き渡した時期が7月から10月上旬に集中していたのは、「当時平戸に来航するオランダ船は南からの季節風を利用して、毎年新暦の7月ころから入港を開始」(行武 2000)していたためです。

平戸オランダ商館は、7年間で鹿皮1,420,897枚を輸入していました。年度ごとの輸入数では、最小が1641年の96,671枚、最大は1639年の363,273枚でした。年平均では、202,985枚となります。また、産地別でみると、タイオワン産が総数量の40%、571,343枚と最多で、続くシャム産が同37%、532,358枚、そしてカンボジア産が同23%、317,196枚でした。カンボジア産の鹿皮輸出の開始が1637年とあるのは、当地へのオランダ商館の開設が1636年(行武 2003)、という事情からと思われます。

タイオワン産鹿皮の品目等について

タイオワン産の鹿皮は、7年間で571,343枚が平戸オランダ商館へと輸出されましたが、年度ごと品目ごとにまとめたものが表‐2です。

「品目」には、先に図‐1(1635年8月30日の「仕訳帳」)で視てきたカベッサ(上級品)、バリゴ(中級品)、ペー(下級品)及び大鹿の皮のほかに、ノロ鹿皮、山羊皮及び虎皮がありました。即ち、「鹿皮」という品物には、シカ類の品目が5種及びシカ類以外の品目が2種含まれており、計7種の品目でした。カベッサ等シカ類の5品目は、総数量571,343枚と96.1%でした。

表‐2 タイオワン産「鹿皮」の品目別の輸出数とその推移(1635年から1641年)(単位 枚).

  1635 1636 1637 1638 1639 1640 1641 合計
カベッサ(上級品) 27,690 33,660 50,400 79,980 76,620 7,120 29,820 305,290
バリゴ(中級品) 31,920 18,680 18,400 43,920 36,040   4,560 153,520
ペー(下級品) 9,700 8,100 12,900 23,730 17,600   2,188 74,218
大鹿の皮(注1) 1,587     1,280 3,595   8,381 14,843
ノロ鹿皮(注2)         1,260     1,260
山羊皮(注3)       3,900 8,900 8,060 1,350 22,210
虎皮(注4)             2 2
合計 70,897 60,440 81,700 152,810 144,015 15,180 46,301 571,343

(注1)大鹿は、サンバー(水鹿)と思われる。
(注2)仕訳帳には「ノロ鹿」と記載されているが台湾に生息しない「キョン」と思われる。
(注3)「山羊」とは、タイワンカモシカと思われる。
(注4)トラは台湾には生息していない。中国大陸産のトラと思われる。
●なお、(注1)から(注4)は、「中国の野生哺乳動物」(盛他 2000)より推測したものである。


台湾に生息するシカ類は、キョン、サンバー、そしてニホンジカ(梅花鹿)の3種です(盛他 2000)。先の品目「大鹿の皮」の大鹿は、形態からサンバーと推測されます。また、「ノロ鹿皮」とありますがこれは誤りで、正しくは「キョン皮」と推測されます(いずれも小型のシカです)。

さて、カベッサ(上級品)、バリゴ(中級品)及びペー(下級品)の3品目は、シカ類の種名がわかりません。台湾政府の刊行物「台灣梅花鹿」には、「…かつて台湾では日本へ毎年のように10万頭以上の梅花鹿の毛皮を輸出していた、と歴史公文書に記録されている。このことは、かつて台湾は梅花鹿のパラダイスであったことを示唆している。…」(Ying and Shih-Chen 1998)とあります。カベッサ(上級品)、バリゴ(中級品)及びペー(下級品)の3品目の輸出数量は多い年度で6万枚から15万枚であったことから(表‐2)、これら3品目のシカは「梅花鹿」と推測されます。

1635年~1641年に輸出したタイオワン産鹿皮571,343枚の種別の内訳は、シカ科では、梅花鹿 533,028枚、サンバー14,843枚そしてキョン1,260枚の計549,131枚となり、梅花鹿が97.1%を占めています。なお、山羊皮の種はウシ科のタイワンカモシカ、また、虎皮の種はネコ科のトラと思われます。

各年度の鹿皮輸入数は、1640年の15,180枚から1638年の152,810枚と他の産地と比べ大きな開きが見られます。1637年から1638年にかけて倍増していますが、この1638年には、シカの乱獲を恐れたタイオワン商館が同年10月に狩猟規則を見直し猟期を6カ月から2ヶ月に短縮するなどしています(中村 1953)。また、1640年及び1641年には鹿皮の輸出数が大きく減じているのは、鹿皮が虫害や瑕物、腐朽等の品質劣化が多発した(中村 1953)ことにより、十分な集荷・輸送へと至らなかったことが推察されます。さらには、1638年10月の狩猟規則の見直し等による捕獲数の減少等が影響していたことも推察されます。

なお、平戸オランダ商館は、1641年に長崎の出島へと移転し(行武 2003)、以降、長崎奉行の管理下におかれます。奉行所には輸入事務を担当する多くの目利(役人)を配置していましたが、そのなかに「鹿皮目利」がいました(江後 2011)。出島では、鹿皮目利(役人)による厳格な品質検査がなされていたものと思われます。先に、タイオワン等3地域の商館が作成する交易品(鹿皮)の「送り状」より、カベッサ(上級品)、バリゴ(中級品)、ペー(下級品)をはじめ、「第三種」、「アタマ…」、「ヤマンマ…」等の多くの品目名をみてきましたが、これら多くの品目の発生には「鹿皮目利」の存在と無縁ではないように思われてきます。

シャム産及びカンボジア産鹿皮の品目等について

これら2つの産地では、鹿皮の品目の多くが「内容不明」となっていることは先の通りです。ここでは、参考までに、シャム及びカンボジアの鹿皮の品目の数量等を整理しておきます。

まず、シャム産は、7年間の総輸出数532,358枚の内訳は、「第三種」が410,400枚(77.1%)と最多で、次に「アタマ」が96,042枚(18.0%)でした。この2品目で95.1%となり、後は、「バリゴ」8,814枚(1.7%)、「ヤマンマ」6,147枚(1.2%)、「ペー」4,282枚(0.8%)等でした。

カンボジア産は、1637年から1640年の総輸出数は317,196枚でした。その内訳は、「第三種」が122,843枚(38.7%)と最多で、以降は「アタマ」が81,374枚(25.7%)、「山羊皮」が27,584(8.7%)、「スハングマ」が27,530枚(8.7%)、「ヤマンマ」が24,726枚(8.1%)等と続きます。カンボジア産の鹿皮にも「山羊皮」が8.7%も含まれていました。

シャム産とカンボジア産のいずれにおいても、「第三種」と「アタマ」が上位を占めていました。鹿皮の「品目」の解明が急がれます。

さて、本コラムでは、これまで江戸初期の朱印船貿易によるシカ皮交易をみてきましたが、1635年から1639年には、734,280~751,280枚の鹿皮が日本に輸入されていました(第3回コラム参照、川島 1994)。従って、平戸オランダ商館が鹿皮を輸入してきた1635年から1641年の7年間(表‐1)には、朱印船貿易による鹿皮輸入も行われていました。この7年間に日本に輸入された鹿皮は、平戸オランダ商館の1,421,983枚、そして朱印船貿易の734,280~751,280枚でしたので、総数量は215万6千から217万3千枚となりました。

但し、平戸オランダ商館の鹿皮のなかには、解明の待たれる「品目」があること及び「山羊皮」等が含まれていることを留意しておきたいと思います。


引用文献


2021年9月1日公開